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世界文化遺産 青森の縄文をめぐる

悠久の時間(とき)をたずねて

世界文化遺産 青森の縄文をめぐる

青森県には約3400もの縄文遺跡が点在。
縄文遺跡を巡ると、その土地の今と昔が感じられます。


さあ、悠久の時間を体感する、青森の旅へ出かけましょう。

縄文の集落を体験 ~特別史跡 三内丸山遺跡~

青森県の縄文遺跡の旅は三内丸山遺跡から始めるのがお勧め。

この遺跡は、縄文時代前・中期にかけて約1700年も続いた縄文集落。見どころは、何といっても復元された大型掘立柱建物です。

6本の柱は高さ15m・直径約1mもあり、素材にクリの木が使われています。

遺跡からは膨大な数の土器や土偶のほか、縄文人の食生活がわかる動物や魚の骨なども出土。

現在も発掘が行われており、これからも新たな発見が期待されます。

展示施設「縄文時遊館」内にある高さ6m・幅18mもある縄文ビッグウォールには、出土した本物の土器片5120個がちりばめられています。

上層から下層に向かって年代が遡っており、時代による色の違いがわかります。

旅人メモ:縄文ポシェットとあけび蔓細工

三内丸山遺跡では、ヒノキ科の樹皮を編み込んで作られた小さなかご「縄文ポシェット」が発掘されています。縄文ポシェットは網代編みという編み方で作られており、この技法は青森県の伝統工芸品のひとつであるあけび蔓細工にも受け継がれています。

弘前市にある宮本工芸の二代目・宮本一志さんによると、「津軽地方では、昔から自生するあけび蔓を使ってかごを編み、暮らしの中で使っていました」とのこと。職人がひとつずつ作るあけび細工のかごは、使い込むと色艶が増し、大切に扱えば親子3代まで使い続けることができるといいます。

このような植物の素材で編む技が、長きにわたって人々に受け継がれてきたと思うと、はるかいにしえの縄文時代が身近に感じられてきます。


宮本工芸

旅人メモ:縄文ポシェットとあけび蔓細工

石はどこから運ばれたのか ~小牧野遺跡~

小牧野遺跡は、縄文時代後期前半(約4000年前)の遺跡。

緩やかな斜面の高い方を削り、低い方に盛土をしてから、石を置いて環状列石を作っています。

また、環状列石には4つの土器棺が埋められ、周辺にも100基以上の土坑墓があったことから特別な場所と考えられています。

旅人メモ:遊び心あふれる小牧野遺跡オリジナルグッズ

縄文の学び舎・小牧野館は、廃校となった小学校を改修したガイダンス施設。遺跡の出土品や解説パネルが展示され、小牧野遺跡を楽しく学ぶことができます。ミュージアムショップで販売されているユニークなグッズの数々は、ぜひチェックしたいもの。

縄文ファンの間で話題になっているのが「遮光器土偶ニット帽(好評につき、2021年7月現在は完売)」。手編みなので、風合いが微妙に異なる一点物!「遮光器土偶メガネ(2400円)」も合わせてどうぞ。


縄文の学び舎・小牧野館

旅人メモ:遊び心あふれる小牧野遺跡オリジナルグッズ

縄文の始まりを伝える土器片 ~大平山元遺跡~

閉校した小学校を活用したガイダンス施設・大山ふるさと資料館。

ここに縄文時代の始まりを示す日本最古の土器片が展示されています。

縄模様がないなど古い特徴を持った無文土器で、年代測定をすると約1万5000年前のものとわかりました。

土器片と一緒に出土した日本最古の石鏃(せきぞく・矢じり)は、旧石器時代から続く伝統的な技法が用いられているといいます。


大平山元遺跡は、旧石器時代から縄文時代への移り変わりが感じられる重要な遺跡です。

世界ブランド遮光器土偶のふるさと ~亀ヶ岡石器時代遺跡 田小屋野貝塚~

独特な目、ふくよかな体型をした「遮光器土偶」。一度見たら忘れられないこの土偶は、亀ヶ岡石器時代遺跡から発掘されました。

この遺跡の出土品は江戸時代から芸術品として「亀ヶ岡もの」の名で知られ、江戸の好事家に珍重されるだけでなく、海外にも輸出されたといいます。


近くの田小屋野貝塚からは「ベンケイガイ製貝輪」の半製品が出土しています。

同時期の貝輪は北海道でも出土し、当時から海を越えた交流があったと考えられています。両遺跡を巡ると縄文人の技術と芸術性の高さに驚かされます。

旅人メモ:高校生と老舗菓子店のコラボ菓子

地元の木造高校のアイデアから生まれた「しゃこちゃんケーキ」。以前から販売していた「たぬきケーキ」をアレンジしたもので、1個ずつ表情が微妙に異なっているのがおもしろい。そのほか、「しゃこちゃんサブレ」と「土偶最中」もあり、おみやげにぴったり。


たいま菓子店

旅人メモ:高校生と老舗菓子店のコラボ菓子

岩木山との一体感 ~大森勝山遺跡~

縄文時代を想起させるストーンサークル。大森勝山遺跡の素晴らしさは何といっても風景の良さです。

1200個の石材で作られた大きな環状列石(ストーンサークル)の先に岩木山の美しい山容を望み、視界には建物などの人工物が入りません。

縄文人もこの風景を見ていたのだろうかと思わせられます。

縄文時代晩期の環状列石は全国的にも珍しく、そのなかでも全容が判明しているのはこの遺跡だけといいます。

縄文の暮らしを覗く ~二ツ森貝塚~

二ツ森貝塚は小川原湖西岸に位置し、今から約5500年前から約4000年前にかけての貝塚をともなう集落跡。

当時は遺跡の周囲も海に囲まれ、貝や魚などの食料にも恵まれていたといいます。

貝塚からは貝殻や魚骨、県重宝「鹿角製櫛」をはじめとする骨角器が出土しているほか、土坑からは幼犬の埋葬跡も見つかっており、縄文時代の生活をうかがい知ることができます。

遺跡は二ツ森貝塚史跡公園として整備され、竪穴住居が復元されています。
また、貝塚の敷地内にある案内所には、貝塚に関する解説パネルや土器片などが展示されています。

漆の深い赤、造形の美に見入る ~是川石器時代遺跡~

是川石器時代遺跡は、中居遺跡、一王子遺跡、堀田遺跡の総称。泉山岩次郎・斐次郎兄弟によって、本格的な発掘が行われたのは1920年(大正9)のことです。

洗練された土器や土偶が出土しています。


この遺跡を代表する遺物といえば、漆製品。

是川縄文館では特に優れた漆製品が展示され、その美しさに目を奪われます。

また、風張1遺跡から出土した国宝「合掌土偶」も展示されています。


広い国宝展示室にひとりで座る姿を見ると、縄文人がこの土偶に込めた願いを想像せずにはいられません。

2021年7月、「北海道・北東北の縄文遺跡群(北海道・青森県・岩手県・秋田県)」は世界遺産に登録されました。


日本人の原点ともいわれる縄文文化。

縄文時代は稲作が始まる前の原始的な時代とならった人も多いはず。でも、青森で大規模な縄文遺跡である「三内丸山遺跡」が発見されたことから、歴史の見直しが始まりました。

日本史の教科書で一番記述が変わったという説も。

最大500人規模の集団で定住生活を営んでいたことがわかり、教科書で学んだ縄文時代よりはるかに進んだ文化が存在したことが続々とわかってきています。


新しく発見された古代の歴史や、縄文人の芸術性の高さを体感できる、青森縄文の旅。
ぜひ出かけてみてください。

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