能町みね子の「あんたは青森のいいところばかり見ている」(第22回)

母袋子橋を渡って学校に行こう
八戸の奥のほうに吊り橋があることを私はたまたま地図を見て知った。
吊り橋そのものにも惹かれたけど、その環境も気になったのだ。
橋は南から北へ流れる新井田川に架かっているのだけど、地図の様子からはかなり深い谷底に見える。西岸には橋のすぐそばに大きめの道路が走っているけれど、渡った先の東岸は道らしい道がない。だいぶ東側にバス通り(久慈街道)があるけど、そこまで相当な坂を上りそうな感じ。
で、この久慈街道沿いに、「是川東小学校」がある。
https://www.hachinohe.ed.jp/korehi_e/
手作り感一杯のホームページがあるけれど、ここ、2015年に廃校なのだ……。サイト内には廃校についての情報などまったく載っていない。どういうわけかホームページだけ残っちゃったんですね。
廃校なのはちょっと切ないけれど、どうもこの吊り橋、位置的に、川の西側に住む子供たちにとっては是川東小学校への通学路としか思えないのだ。だから、川の西側から、吊り橋を渡る通学路というものをバーチャル体験してみたいと思ったのです。
まずは橋の西岸に行きたいけれど、例によって公共交通機関で辿り着きたい私は、西岸の道に行くバスがなくて困った。しかたなく、とりあえずは東岸の久慈街道上にある「長根」というバス停に到着。
バスの本数もかなり少ないです。
自力で来たはいいものの、ここから坂を下りて吊り橋にアプローチすると、登校ではなく下校になってしまう。なので、ここまで迎えに来てくれた陸奥桜氏とともに車にすぐ乗り込み、せっかくバスで進んできた道をだいぶ戻り、遠回りして西岸に向かいます。このあたりには、目的の吊り橋以外に川を渡れる道がないのだ。
バスで来た意味、ほとんどなかったな。
西岸の吊り橋の近くには砕石場がある。ここの景色も迫力あります。 さて、吊り橋が近づいてまいりました。
母袋子と書いて「ほろこ」と読む。難しい。 このあたりは「西母袋子」という集落になるけれど、現在は民家は1〜2軒だろうか。ほぼ無人である。昔は小学生がたくさんいたのかなあ。
吊り橋は、車道からよく見えた。
いかにも作りがしっかりしていて、安心です。 山あいに架かる吊り橋というと、物によってはゆらゆら揺れて不安なものもあるけど、ここは見た感じとても丈夫そう。ちょっと拍子抜け。
平成7年竣功とありました。日頃、どのくらい使われているんだろうか。
橋の上からは砕石場も見える。独特の景観。 ところが、橋を渡った先がすごかったのである。道が予想の10倍くらい心許ないよ。
なんでちょっとだけ舗装してみたんですかね。 アスファルトの舗装がすごく雑にちょこっとだけあるけど、少し進むとすぐ土の露出した山道になってしまった。
これは、ただの山道である。運動神経のない私は足下が不安です。 靴の下は少しぬかるんだ泥の道。そして、左側は柵もなく一気に崖である。
「これ、通学路なんですよね?」
「子供が調子に乗ってふざけ合ったら一発アウトだよぉ……」
雨の日も雪の日もここを歩いたであろう昭和の子供たちはたくましい。西母袋子の子供たちはきっとここでバランス感覚を鍛えていたのね。
矢印のように進みます。 泥の山道の区間はわりと短く、今度は少し安心できる砂利道になった。が、そこに唐突に極太の車道が現れた。
一般的な車道ではないようです。 写真では分かりづらいですが、私たちが歩いてきた砂利道を急に太い車道が横切っていて、その車道のほうに「場内進入禁止」と書いてある。
どうやら砕石場に向かうダンプ等専用の道らしい。この道が踏切のように砂利道を横切っている。西母袋子の子供たちはここで交通ルールを学ぶのだ(たぶん)。
さらに砂利道の坂をぐんぐん上り、やっと民家が見えてきた。
東母袋子の集落。 こちらの集落もおそらくいま2軒くらいかと思われる。しかし、まだここは中間地点。地図を見ると、まだまだ坂を上らないと学校までたどりつけなそう。
集落を経て道はかなりしっかりしたけれど、坂はもっときつくなった。
なかなかキツい坂。 また無人地帯になり、上り坂が続く。のぼってものぼっても終わらない。つらい。暑い。ひたすらの森で、風景にも休憩がない!
後から調べたところによると、吊り橋のあたりは標高18m、そこからひたすら上って、小学校の入口は標高150mだった。なんと標高差は130m以上、ビルでいうと35階分くらい駆け上ることになる。そりゃきついよ!
私と年齢差があるとはいえ、陸奥桜氏はあまり疲れて見えない。しゃきっとしている。
「陸奥桜さんは学生時代何部だったんですか?」
「剣道部です!」
そうか。剣道部は体力以上に、根性を鍛えられてそうだ。そう簡単に音を上げないイメージがある。きっと西母袋子の子供たちにも剣道部が向いている。
息も絶え絶えの私の前に、蛇が現れた。
蛇さまです。 ま、蛇くらいは出るよね。と思ってスルーしたのだけど、あとからグーグルマップを確認したら、このすぐそばに「蛇の神社」なるものがあってびっくりした。神様だったのかもしれない。私たちはきっと歓迎されている。
やっと森が開けた。が、まだ上り坂は続く。
ついに前から第一村人のじっちゃが現れた。今日、歩き始めて以来、初めてすれ違う人間である。
少しお話を伺ってみる。川の向こうの子供が吊り橋を渡って坂を上り、小学校に通っていたのは本当だった。が、中学生になると、今度はこちら(東)側から坂を下り、吊り橋を渡って中学校に行くという通学路だったらしい。どっちにしろ大変だ!
さあ、最後のゆるやかな坂を上りきり、最初にバスで着いた場所のすぐそばである小学校前に、我々はついにたどりついた。
もう子供たちの姿はありません……。写真は逆光ですみません。 かつては体力の有り余る子供たちがこの標高差を駆け上がっていたんだろうなあ、と、荒い呼吸で私は考えていた。すると、そんな私の目の前に、とても元気な子供が!
元気な……元気か?この子は元気なのか? 元気にあいさつしたままゴーゴンに固められてしまったかわいそうな児童の姿がそこにあった。誰か助けてあげてほしい。
ついに歩行者には一人しかすれ違わなかった今回の探検だけど、小学校のそばにはなんと観光用の看板があった。母袋子橋についてもしっかり記述がある。
「西母袋子、東母袋子の両地区をつなぐ新井田川に架かるつり橋。長さ50m、幅2.5mの人道橋です。初代のつり橋は、昭和19年に是川(母袋子)発電所の八木橋氏によって架けられましたが、経年劣化が進み、平成7年に架け替えられました。このつり橋は、農作業や通学などに大きな役割を果たしてきました」とのこと。
思いっきり戦中の昭和19(1944)年に架けられた吊り橋が、平成7(1995)年まで使われていたというのが気になる。架け替える前を見てみたかった。
そして、看板にある通り、この近くに発電所があったらしい。青森県で初めての水力発電所だったとのこと。この高低差を考えると、確かに水力発電に向いてそうだ。
ここに観光で訪れる人というのはそんなにいないかもしれないけれど、せっかくこのへんに来たなら、ぜひ西側に車を停め、通学路を追体験してほしい。
ま、当然そのあとは、延々と同じ急坂を下りて車のところまで戻ることになりますけどね……。下りのほうがつらいとはよく言ったもので、私は下りている最中に早々に筋肉痛を発症しました。
おまけ。疲れた体は、知る人ぞ知る階上町の人里離れた場所にある、おそばの名店「東門」に行って癒しましょう。おすすめです。
階上早生の蕎麦を金山焼きで。おいしかった〜。
by 能町みね子
【プロフィール】
北海道出身。文筆業。大相撲好き。南より北のほうが好きで青森好き。著書に、『逃北』(文春文庫)、『結婚の奴』(平凡社)、アンソロジー小説集『鉄道小説』(交通新聞社)、『ショッピン・イン・アオモリ』(東奥日報社)など。
当ブログの連載から誕生した『デットエンドで宝探し~あんたは青森のいいところばかり見ている~』(hayaoki books)が大反響!発売中!
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